民宿こじま 野沢温泉観光協会 野沢温泉スキー場 野沢温泉村
村内散策
お問い合わせはこちら0269-85-2461
里めぐり

※タブクリックで切り替え

  • 歴史を紡ぐ野沢温泉の祭り
  • 野沢温泉芸術文化の里めぐり
  • 歩いて巡る野沢温泉の史跡と名所
  • 野沢温泉の歴史野沢温泉道祖神史跡めぐり
歴史を紡ぐ野沢温泉の祭り

湯澤神社の祭礼(神楽と燈籠連れ)

野沢温泉湯澤神社の祭りは、毎年9月8日夜祭り、9日に祭礼が行われます。
夜祭りは、燈籠連れとも言われ、灯籠が多く出ることが特色です。燈籠の種類は
鈴燈籠、獅子御幣燈籠、獅子御社燈、花燈籠、柳燈籠、三十六歌仙役燈籠、
猿田御幣燈籠、制礼燈籠、輿燈籠、薙刀燈籠、剣燈籠、奴燈籠など12種類、本数は100本を越えます。これらの燈籠に火を灯して延々と村内を練り歩きます。
また要所、要所のシメを天狗が切って進み、道中を獅子舞いをしながら行き、優雅な三十六歌仙の舞いが行われます。

舞楽 猿田彦の舞

猿田彦命は、シメ切りと呼ばれ、要所、要所に張られているシメ縄を、天狗が切って神の通る道を開けて進みます。
猿田彦命は、頭にニワトリが乗ったかぶと をかぶり、天狗の面を付け、衣装は山伏と同じで白ずくめであり、その上に
陣羽織を着ています。


舞楽 獅子舞

獅子は偉大な神、またはその使者としての性格をもっていて、神を迎える役目を担い、神が降臨されるとその神の
依代とります。舞は、油単(ゆたん)(つるぎ)舞[岩戸開き太刀舞]・御幣(ごへい)舞[悪魔払い]・鈴神楽(すずかぐら)(ほら)舞[岩窟]があります。

・剣舞(岩戸開き太刀舞)

演奏と神歌に合わせ、神刀で勇壮な斬込み気合の型などを盛り込んだ、動きの激しい舞です。東西南北を祓い清め、固め、舞い廻ります。神歌は太鼓の打ち手が朗々と
歌いあげます。この神舞は天照太神が天の岩戸にお隠れになられたのを、多くの神々が集まり天の岩戸よりお出しになる舞です。これはあまりに恐れ多いことなので、
湯沢神社社殿以外では、許されない舞です。

・御幣舞(悪魔祓ひ)

大きな御幣を高々と振りかざして、
剱舞同様に四方を固め、悪魔を祓い
清めます。
神歌は最後まで太鼓の打ち手が歌い、
舞い手がこれに合わせて厳かに、ゆったりとした荘厳な舞になります。

・鈴神楽

剱舞と御幣舞で清められた舞殿で、御幣と
鈴で雅やかに舞います。さえわたる鈴の音が笛、太鼓の旋律と調和し、楽しく戯れる
獅子はそのいかめしい顔も、笑い、
嬉しがっているように見えます。前奏演同様四方を固め、祓い清めます。立舞を終わり、獅子は奇妙な首捻りの舞をして洞舞に
なります。

・洞舞(岩窟舞)

獅子が洞窟で寝つく時の様子を舞います。歯切れよい笛太鼓に合わせ烈しく身を
よじり、耳を逆立て頭髪を振り乱し、耳を掻き、身体の(のみ)をとって悶え、
興奮します。やがて疲れはてた獅子は、睡魔に襲われ静かになります。洞の中で
身を横たえて鼻をこすり大きなあくびを始めます。笛の音はいよいよ静かに
細くなり、とぎれとぎれとなります。うとうとと眠りにに落ちんとするとき、
突然強く激しい旋律にかわり、獅子が狂ったようにいきりたち、睡気(ねむけ)から覚め
獅子舞は終結します。

・舞楽 三十六歌仙の舞

三十六歌仙舞、四人の舞子の子供が烏帽子をかぶり、
白のビロリに赤い袴、赤いはなおの草履を履いています。
舞は、剣舞、鈴舞、扇舞、千鳥舞を行われます。


灯籠の種類

野沢温泉道祖神祭り

「野沢温泉の道祖神祭り」は毎年1月15日に行われる火祭りです。
初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格をもつとともに、
火をめぐる攻防戦が伝承されています。この祭りがいつ始まったかは
定かでありませんが、記録から江戸時代後期にはすでに盛大に
行われていたことが推察できます。豪壮な社殿造り、華麗な初灯籠、
清楚で可憐な木造道祖神作製など行事内容は、以前の様式のまま執り
行われていて、近郷にない卓越した民俗行事となって存続しています。
そして日本を代表する道祖神行事の一つとして平成5年に国の
重要無形民俗文化財に指定されました。


祭りの組織

野沢温泉の道祖神祭りは、地区を代表する野沢組惣代が総元締めとなり、
経験者から選ばれた山棟梁と社殿棟梁などの役員の指揮のもと「三夜講」と
呼ぶ厄年の男たちが祭りを執行します。


木造道祖神

道祖神様と呼ばれ容姿が見苦しいために結婚できずにいた男女が
結ばれたところ、めでたく男子が出生したという、縁結びと子宝の神と
言われています。男女1対の神様は、各家庭で、それぞれ素朴な味わいのある手作りで、神棚に1年間祀られています。1月15日、会場にある大きな
たらいに自分の家の神様を納め、他の家から来た気に入った神様を
持ち帰ります。


初灯籠

前年に長男が誕生した家では、子供の成長を祈って初灯籠を作り、火祭りに
奉納します。灯籠の高さは約9メートル、中心柱の最上部に御幣、その下に傘、
この傘の周囲に赤色の垂れ幕を回らし家紋を付けます。傘の下には提灯、白扇、
ようらくを吊します。次には絵を描いた菱灯籠、そして割竹を柳の枝のように
垂らし、中央に万灯籠を付けます。一番下には竹の輪を二重に吊し、親戚や
友人たちから寄せられた書き初めを下げます。1月15日の夕方、親戚や友人が
その家に集まり灯籠送りの宴を開いた後、たいまつの火を先頭に灯籠が会場へと
運ばれます。火祭りの攻防戦の末、社殿が最高潮に燃え上がったとき灯籠を
燃やします。


御神木里引き

社殿を造る木材は前年の秋に山から切り出されます。
ご神木里引きは、社殿の中心となる5本のうちの2本を25歳の厄年と42歳の厄年が二組に分かれて日影ゲレンデから温泉街を通り会場まで引き出します。長さ20メートルもあるブナの大木を引く沿道の家からは御神酒が奉納され、見守る人々にも御神酒が振る舞われます。


社殿造り

社殿造りは、14日の朝から深夜までと、15日の午前中行われ昼ごろ完成します。社殿造りはすべて手作業で、
針金や釘などはいっさい使われていません。 社殿の上の部分の高さは約10メートル、広さは40畳ほどあります。


火元もらい

午後7時、厄年の代表者が河野家に火をもらいに行き、火もともらいの儀式が行われます。いろりを囲んで道祖神の歌を歌ったりかなりの量の神酒を飲まされます。火祭りで使われる火は古式にのっとり、代々伝わる火打ち石で採火されます。
午後8時、火は、大きなたいまつに付けられ、厄年代表者らは道祖神歌を歌いながら火祭り会場へ運びます。


火祭りの攻防戦

午後8時30分、いよいよ激しい攻防戦が始まります。 火付けは最初、祭りの主催者である野沢組総代、次に灯籠の奉納者、その次は子供たち、そして大人の火付けとなります。社殿正面前に燃え上がる火元からたいまつに火を付け社殿正面へ攻撃します。火付けをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に
上がっているのは42歳厄年です。 午後10時すぎ約1時間半にわたる攻防戦の末、双方の手締めにより、社殿に
火が入れられます。次第に社殿が燃え上がり、白煙を吐き、間もなく火を吹き出し、炎の柱となって空を赤く染めていきます。火の勢が強くなった頃、初灯篭が一本ずつ社殿正面に移動され、火柱の炎の中に倒されていきます。

野沢温泉芸術文化の里めぐり 野沢温泉芸術文化の里めぐりマップ
地図をダウンロード

コース案内
①野沢温泉小学校 → ②村民憩の広場 → ③シュナイダー広場・文化交流館 →
④おぼろ月夜の館・菜の花広場 → ⑤ふるさとの湯前 → ⑥麻釜 → ⑦麻釜公園 →  
⑧日本スキー博物館

①野沢温泉小学校

校門横の開校100周年記念碑には、岡本太郎の遊ぶ字「夢」が刻まれています。

②役場前憩の広場

広場中央には野沢温泉村の人々の優しさを象徴した
岡本太郎作の「野沢の乙女像」があります。

③シュナイダー広場・文化交流館

昭和5年に来日し、日本のスキー発展に大きな影響をもたらしたオーストリアのハンネス・シュナイダーの記念碑は
岡本太郎のデザイン。シュナイダー像のバックデザインには岡本太郎デザインの札幌オリンピック記念メダルの
モチーフが刻まれています。
文化交流館ギャラリーでは、野沢温泉村ゆかりの作家の作品が展示されています。

④おぼろ月夜の館・菜の花広場

おぼろ月夜の館-斑山文庫-は、文部省唱歌「春が来た」「故郷」「朧月夜」などの作詞者で、歴史に残る偉大な国語・国文学者である高野辰之博士の業績とその人柄を称えた記念館です。
隣接する菜の花広場には、高野辰之ゆかりの碑があります。文部省唱歌「春が来た」の歌碑、博士が詠んだ漢詩の碑、そして、「青い目の人形像」があります。昭和2年、アメリカのこどもたちから日本のこどもたちへ友情の親善使節として青い眼の人形が贈られてきたときに作られた歌は博士によるものです。

⑤ふるさとの湯前

昭和59年6月、文部省唱歌「朧月夜」の歌碑が建立されています。高野辰之博士は野沢温泉のこの場所に対雲山荘という名の別荘をもっていました。晩年この地で過ごし、野沢温泉が終焉の地となりました。

⑥麻釜

「野沢温泉小唄」は昭和5年、雪の野沢温泉に作曲者中山晋平(なかやましんぺい)、作詞の時雨音羽(しぐれおとわ)、振り付けの藤間芳枝(ふじまよしえ)がそろって訪れ、創り上げたものです。この小唄創作の50周年を記念して麻釜わきに建立されたのが、黒御影石の歌碑小唄記念碑です。文字は音羽の絶筆となりました。

⑦麻釜公園

湯山の郷文学碑が建立されている。野沢温泉を訪れた文人たちの野沢温泉を詠んだ作品が刻まれています。(斉藤茂吉、浅井列、与謝野晶子、与謝野寛、富安風生、飯田竜太)

⑧日本スキー博物館

岡本太郎デザインのスキー・札幌オリンピック記念メダルと愛用のスキー用具が展示されています。

歩いて巡る野沢温泉の史跡と名所

コース案内
①大湯 → ②二十三夜塔 → ③河野安信翁碑 → ④温泉薬師堂 → ⑤野沢菜発祥記念碑 → 
⑥薬王山健命寺 → ⑦健命寺経堂 → ⑧湯澤神社・湯澤神社本殿 → ⑨湯沢神社の大杉 → 
⑩丸石積み → ⑪麻釜 → ⑫つつじ山百番観音

①大湯

野沢温泉のシンボルともいえる大湯は、昔は惣湯とも呼ばれていました。明治21年開湯の明治の大湯は、『犬養の御湯』。現在の建物も伝統ある湯屋建築で平成6年に新築されたものです。野沢温泉には13の外湯があり地元の共有財産で「湯仲間」で管理されています。また、外湯めぐりは大湯を中心の薬師如来とし、12の外湯を十二神将になぞらえています。

②二十三夜塔

二十三夜に月待ち行事を行う集団を「二十三夜講」と言います。野沢温泉では、正月16日に湯沢神社のお祭りや道祖神祭りの中心になる若者組が「三夜講」を行いました。三つの年齢が一つの組を作り、五番組まであるが、各組ごとに仲間うちから宿をかりて、その年の代表者を決め、そのあと飲食をともにした。

③河野安信翁碑

野沢温泉の木通蔓細工の先駆者。通り名を重治郎といい弘化2年木通蔓(あけびずる)を熱泉に浸して精白を始めました。そして、さまざまな器物を製作し、好評を博した。明治14年のとき内国勧業博覧会で有益褒状を賜る。明治18年9月17日病にかかり没す。享年54歳。

④温泉薬師堂

この薬師堂は、今から凡そ350年前、飯山藩主松平遠江守の寄進によって建立されたと伝えられています。本尊薬師如来は、特に温泉と深いかかわりを持つ医療の仏として、内外の人に信仰されてきました。昭和七年、火災で堂内の諸仏を消失し、現在の建物は昭和二十八年に再建されたものです。堂内に安置されている本尊脇侍及び十二神将は、現代仏像彫刻界の第一人者、故大内青圃先生の作によるものです。

⑤野沢菜発祥記念碑

野沢温泉名産の野沢菜は、健命寺の八世晃天園瑞大和尚が京都遊学のおり、天王寺蕪の種子を持ち帰り改良栽培したのが発祥と云われています。今でも当寺で産する蕪種子は、寺種子として特に珍重されています。碑は、昭和57年大和尚の遺徳を讃える碑とともに建立されました。

⑥薬王山健命寺

薬王山健命寺は曹洞宗の古刹です。天正2年(1574)この地の豪族市川新六郎の誓願により、越後南魚沼の名刹雲洞庵より招いた南室正舜大和尚によって開山されました。当初は古寺という地籍にあり、傑湯山と号しましたが、元禄七年(1694)に六世銀翁厳鉄大和尚の時にこの地に移り、薬王山と改めました。現在の諸堂は文化2年(1805)十三世雪岩趙粲大和尚の代に建てられたものです。

⑦健命寺経堂

明治十七年頃の創建で、本堂の前面、楼門の脇に立つ、三間四方の重層の堂です。正面の向拝には越後の宮彫りの名工北村喜代松の彫刻が施されている。この堂は未完成のものです。寺の二十代が14年に発願し、工事に着手したが、大不況でこの堂の工事も費用が続かなくなり、工事を中止せざるをえなくなったものである。この後、二十一代が建具や壁板の寄進を募り、現在みる堂の体裁を整えたのは明治20年代のことです。

⑧湯澤神社・湯澤神社本殿

湯沢神社は野沢温泉の総鎮守です。創建の年代ははっきりしませんが、諏訪信仰の祖神、建御名方神(タケミナカタノカミ)を祭神とし、現在の社殿は明治2年(1765)頃の造営と伝えられています。中の本殿は、建築当初の様式をよく伝えていることなどから、村有形文化財に指定されています。また、毎年九月八・九日に行われる秋祭は「灯篭連れ(づれ)」と愛称され、格調あるその行列は村無形民俗文化財としての伝統を守り続けています。

⑨湯沢神社の大杉

村天然記念物 昭和54年11月1日指定
杉は真っすぐ伸びる木という意味からきた名前です。当村は昔から杉の良く育つところで、赤滝川ぞいの山地には杉の美林がたくさんあります。多くの杉のなかで一際目立つのが、湯沢神社の大杉です。高さ38.5m、目通りの周囲535cm、推定樹齢300年以上の巨木で、一直線に高く伸び、太くしっかり立つこの木は、この神域にふさわしい御神木です。

⑩丸石積み

丸石積工法は、平林村(現野沢温泉村)の丸山忠右衛門が考案した特殊な石積です。外石面を、石槌とノミを使って丸味を帯びさせ、外見の優美さと堅牢さを兼ね備えた優秀な石積工法です。忠右衛門は、文政9年(1826)平林村に生まれました。農事の傍ら石積みに関心を持ち、この工法を考案、多くの弟子を養成しました。

麻釜(おかま)

麻釜は、野沢温泉の数多い源泉湧出個所の一つで温度は九十度近くあり、泉質は、弱アルカリ性硫黄泉で、毎分500リットル湧出しています。麻釜と呼ばれるのは、かつて伐り取った麻(あさ・お)をこの湯だまりにひたし、皮をむいたことから由来します。今も野沢温泉村の人達の台所と言われている麻釜。高温の源泉が湧き出ている釜で山菜や野菜、卵などを茹でています。用途別に、大釜、ゆで釜、丸釜、竹のし釜、下釜の五つの釜があります。

⑫ツツジ山百番観音

村名勝 昭和63年5月1日指定
ツツジ山には、村の護りとして観音堂と百体の観音仏が安置されています。百番観音は、西国三十三ケ所、坂東三十三ケ所、秩父三十四ケ所の観音霊場を合せて祀ったもので、この百番観音を巡拝することによって、全国霊場の巡礼を簡易にしたものです。この石仏群は、村人の寄進により、天保10年(1839)から弘化4年(1849)頃に建造されました。先祖の菩提のためにそれぞれ霊場に参詣して、そのゆかりの土を戴き、それを埋めてその上に観世音の石仏を安置したと伝えられています。また、つつじは各自山々のつつじを持ち寄って飾ったものです。

野沢温泉の歴史野沢温泉道祖神史跡めぐり 野沢温泉の歴史野沢温泉道祖神史跡めぐりマップ
地図をダウンロード

コース案内
①道祖神場(祭場) → ②下根の道祖神碑、パラリンピック聖火台記念碑 → ③塞の神坂 → 
④上根の道祖神碑 → ⑤パラリンピック聖火台バーナー、道祖神様 → ⑥道祖神神社 → 
⑦向林道祖神林

野沢温泉の道祖神祭り

道祖神は村境や辻において災厄の侵入を防ぐ神とされ、全国に広く祀られている民間信仰の神で、この祭りとして小正月に火祭りが行われています。中でも野沢温泉の道祖神祭りは壮大な規模で行われることで知られています。江戸時代後期にはすでに盛大に行われていました。野沢温泉では、上下2箇所でおこなわれ、「上根の道祖神」、「下根の道祖神」と言っていました。これが火災予防のため、上下の組が一緒になって行うことになりました。場所は上組の片桐家所有地の馬場ノ原に移り、火元は寺湯の河野家から出すことになりました。

①道祖神場

上組、下組2組の火祭りを統一するについて、双方とも不平のないように、場所は当時の上のドウロク神の片桐氏の所有地(馬場の原)の畑とされました。火祭りの会場となるこの場所には、高さ約7メートル、御神木の上部はさらに10数メートル突き出し、幅は、一番上の桁のところは、8メートル四方あり、その上に積まれたボヤの上は約40畳分の広さになっている社殿が造られます。

②下根道祖神碑・パラリンピック聖火台記念碑

明治時代まで下根の道祖神祭りが行われていた場所で、石碑が建てられています。この石碑には、表に「道祖神」と刻まれ、裏に天保十巳亥年(1839)、河野源右衛門常範と刻まれています。
1998年、長野パラリンピック開会式では、野沢温泉の道祖神祭りがモチーフとなり、道祖神社殿が聖火台として会場の長野市エムウエーブの庭に設置されました。それを記念して翌年、野沢温泉村の文化を堂々と世界に発信した業績を、21世紀の時代を担う世代に伝え、伝統ある道祖神祭りの「魂」が守り続けられることの願いを込め、「パラリンピック聖火台記念碑」が建立されました。

(さい)神坂(かみさか)

上根の道祖神と下根の道祖神の間にある坂道を塞之神坂と呼んでいます。野沢温泉では、昔は初子と長男を塞之神の子と呼んでいましたが、後に長男、長女を塞之神と呼んでいます。親戚に前年、長男又は長女が生まれると1月14日夕方までに、お祝いとして棹餅(さおもち)を届けます。表書きは「供塞之神」です。棹餅を頂いた家ではお返しとして、15日に豆入り御飯を作ります。その御飯を重箱二つに入れて塞之神の子を背負い、一つは上の塞之神に、もう一つは下の塞之神に供えて持ち帰り、他の豆入り御販と混ぜ合わせて樟餅のお返しとしていました。この上の塞之神と下の塞之神の間を、塞之神の子を背負って行き来したので、この間の坂道を塞之神坂と呼ぶようになりました。

④上根の道祖神碑

明治時代まで上根の道祖神祭りが行われていた場所で、双体道祖神碑、石祠が建てられています。石の社頭には「七代孫九郎、明治二十二年十月」と刻しあります。祭神は男神が八衢比古神(やちまたひこのかみ)、女神が八衢比賣神(やちまたひめのかみ)。とされています。

⑤パラリンピック聖火バーナーと道祖神様

1998年、長野パラリンピックの道祖神社殿聖火台で10日間火を灯し続けたバーナーと、その社殿の前でパラリンピックを見つめ続けていた道祖神様が設置されています。

⑥道祖神神社里宮

「縁結びや無病息災などさまざまな“願掛け道祖神”として心のよりどころになれば」と期待を込めて、平成18年に惣代経験者の有志により建立されました。村内の自然石を使った洞で内部には村内の旅館に100年以上前から伝わってきた男女一対の石造道祖神を安置しています。

⑦向林道祖神林

道祖神の社殿を造る材料は以前、本沢・鮒落し・向林・大林という4カ所の道祖神林と呼ばれる共有林から切り出されましたその1つがこの向林(むこうばやし)道祖神林です。以前の道祖神祭りは、1月13日から15日までの3日間で全ての作業を行わなければならなかったため、すべて雪の中をこの林から道祖神場まで材料を運んでいました。

上へ戻る