Nozawa Onsen Festival
歴史を紡ぐ野沢温泉の祭り
01
湯澤神社の祭礼(神楽と燈籠連れ)
野沢温泉湯澤神社の祭りは、毎年9月8日に夜祭り、9日に祭礼が行われます。夜祭りは燈籠連れともいわれ、灯籠が多く出ることが特色です。燈籠の種類は鈴燈籠、獅子御幣燈籠、獅子御社燈、花燈籠、柳燈籠、三十六歌仙役燈籠、猿田御幣燈籠、制礼燈籠、輿燈籠、薙刀燈籠、剣燈籠、奴燈籠など12種類、本数は100本を越えます。これらの燈籠に火を灯して延々と村内を練り歩きます。要所のシメを天狗が切って進み、道中獅子舞いをしながら行き、優雅な三十六歌仙の舞いが行われます。
舞楽 猿田彦の舞
猿田彦命は「シメ切り」と呼ばれ、要所に張られているシメ縄を天狗が切り、神の通る道を開けて進みます。猿田彦命は、頭にニワトリが乗ったかぶとをかぶり、天狗の面を付け、衣装は山伏と同じで白ずくめで、その上に陣羽織を着ています。
舞楽 獅子舞
獅子は偉大な神、またはその使者としての性格をもっていて、神を迎える役目を担い、神が降臨されるとその神の依代となります。舞は、油単ゆたん・剣つるぎ舞『岩戸開き太刀舞』・御幣ごへい舞『悪魔払い』・鈴神楽すずかぐら・洞ほら舞『岩窟』があります。
剣舞(岩戸開き太刀舞)
演奏と神歌に合わせ、神刀で勇壮な斬込み気合の型などを盛り込んだ、動きの激しい舞です。東西南北を祓い清め、固め、舞い廻ります。神歌は太鼓の打ち手が朗々と歌いあげます。この神舞は、天照太神が天の岩戸に隠れたのを、多くの神々が集まり天の岩戸からお出しになる舞です。これはあまりに恐れ多いことなので、湯沢神社社殿以外では許されない舞なのです。
御幣舞(悪魔祓ひ)
大きな御幣を高々と振りかざして、剱舞同様に四方を固め、悪魔を祓い清めます。神歌は最後まで太鼓の打ち手が歌い、舞い手がこれに合わせて厳かに、ゆったりと荘厳に舞います。
鈴神楽
剱舞と御幣舞で清められた舞殿で、御幣と鈴で雅やかに舞います。冴え渡る鈴の音が笛、太鼓の旋律と調和し、楽しく戯れる獅子は、そのいかめしい顔も、笑い、うれしがっているように見えます。前奏演同様四方を固め、祓い清めます。立舞が終わり、獅子は奇妙な首捻りの舞をして洞舞になります。
洞舞(岩窟舞)
獅子が洞窟で寝つく時の様子を舞います。歯切れよい笛太鼓に合わせ激しく身をよじり、耳を逆立て頭髪を振り乱し、耳を掻き、身体の蚤のみをとって悶え、興奮します。やがて疲れはてた獅子は、睡魔に襲われ静かになります。洞の中で身を横たえて鼻をこすり大きなあくびを始めます。笛の音はいよいよ静かに細くなり、とぎれとぎれとなります。うとうとと眠りに落ちんとするとき、突然強く激しい旋律にかわり、獅子が狂ったようにいきりたち、睡気から覚め獅子舞は終結します。
舞楽 三十六歌仙の舞
三十六歌仙舞、四人の舞子の子供が烏帽子をかぶり、白のビロリに赤い袴、赤いはなおの草履を履いています。舞は、剣舞、鈴舞、扇舞、千鳥舞を行われます。
灯籠の種類
02
野沢温泉道祖神祭り
「野沢温泉の道祖神祭り」は毎年1月15日に行われる火祭りです。初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格を持つとともに、火をめぐる攻防戦が伝承されています。この祭りがいつ始まったかは定かでありませんが、記録から江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたことが推察できます。豪壮な社殿造り、華麗な初灯籠、清楚で可憐な木造道祖神作製などをはじめ、行事内容は以前の様式のまま執り行われていて、近郷にない卓越した民俗行事となって存続しています。そして日本を代表する道祖神行事の一つとして、平成5年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
祭りの組織
野沢温泉の道祖神祭りは、地区を代表する野沢組惣代が総元締めとなり、経験者から選ばれた山棟梁と社殿棟梁などの役員の指揮のもと、「三夜講」と呼ばれる厄年の男たちが祭りを執行します。
木造道祖神
道祖神様と呼ばれ、容姿が見苦しいために結婚できずにいた男女が結ばれたところ、めでたく男子が出生したという伝説から、縁結びと子宝の神といわれています。男女1対の神様は、各家庭で、それぞれ素朴な味わいのある手作りで、神棚に1年間祀られています。1月15日、会場にある大きなたらいに自分の家の神様を納め、ほかの家から来た気に入った神様を持ち帰ります。
初灯籠
前年に長男が誕生した家では、子どもの成長を祈って初灯籠を作り、火祭りに奉納します。灯籠の高さは約9メートル、中心柱の最上部に御幣、その下に傘、この傘の周囲に赤色の垂れ幕を回らし家紋を付けます。傘の下には提灯、白扇、ようらくを吊るします。次には絵を描いた菱灯籠、そして割竹を柳の枝のように垂らし、中央に万灯籠を付けます。一番下には竹の輪を二重に吊し、親戚や友人たちから寄せられた書き初めを下げます。1月15日の夕方、親戚や友人がその家に集まり灯籠送りの宴を開いた後、たいまつの火を先頭に灯籠が会場へと運ばれます。火祭りの攻防戦の末、社殿が最高潮に燃え上がったとき灯籠を燃やします。
御神木里引き
社殿を造る木材は、前年の秋に山から切り出されます。ご神木里引きは、社殿の中心となる5本のうちの2本を25歳の厄年と42歳の厄年が二組に分かれて日影ゲレンデから温泉街を通り会場まで引き出します。長さ20メートルもあるブナの大木を引く沿道の家からは御神酒が奉納され、見守る人々にも御神酒が振る舞われます。
社殿造り
社殿造りは、14日の朝から深夜までと、15日の午前中行われ昼ごろ完成します。社殿造りはすべて手作業で、針金や釘などはいっさい使われていません。 社殿の上の部分の高さは約10メートル、広さは40畳ほどあります。
火元もらい
午後7時、厄年の代表者が河野家に火をもらいに行き、火もともらいの儀式が行われます。いろりを囲んで道祖神の歌を歌ったりかなりの量の神酒を飲まされたりします。火祭りで使われる火は古式にのっとり、代々伝わる火打ち石で採火されます。午後8時、火は、大きなたいまつに付けられ、厄年代表者らは道祖神歌を歌いながら火祭り会場へ運びます。
火祭りの攻防戦
午後8時30分、いよいよ激しい攻防戦が始まります。 火付けは最初、祭りの主催者である野沢組総代、次に灯籠の奉納者、その次は子供たち、そして大人の火付けとなります。
社殿正面前に燃え上がる火元からたいまつに火を付け社殿正面へ攻撃します。火付けをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に上がっているのは42歳厄年です。 午後10時すぎ約1時間半にわたる攻防戦の末、双方の手締めにより、社殿に火が入れられます。次第に社殿が燃え上がり、白煙を吐き、間もなく火を吹き出し、炎の柱となって空を赤く染めていきます。火の勢が強くなった頃、初灯篭が一本ずつ社殿正面に移動され、火柱の炎の中に倒されていきます。